精神ニート

面倒臭い人のただのひとりごと

妄想はいずれ真実に辿り着く

自分は人よりもよく妄想をする、と勝手に思っている。

小さな頃、幼稚園児の頃から頭の中で0から別世界を創造してその世界の物語を映像として頭に浮かべたりしてた。

高校生となり初めて携帯電話及びスマートフォンを手に入れてからSNSやネットの世界に没頭し、頭の中の別世界からは遠ざかってしまった。

そんな状態でも現実世界で気になる人間を見つけるとその人は一体どういう思想を持っていて何が好きで何を生きがいにしているんだろうと期待という名の一種の妄想癖はなかなか治らない。

この人はきっとこういう行動をするはずだ、こんなことを思ってああいう発言をしたんだと勝手に自分の頭で補完する。そうすることによって深く相手を知れば知る程自分の中で作られたイメージの偶像である相手とのギャップが生じて落胆し、興味が失せる。

自分勝手で馬鹿でしかない。笑

けどその妄想が楽しいから辞める気はない。

その偶像を越えるくらい自分にとって面白くて変わっていて素敵な人間を求めてる。


未来に希望的で好意的な人間は精神的に余裕があるからって思っているけどその根本には必ず未来は来る、まだ死なないと自分を信じているというのがあるのかもしれない。平和ボケしているのかどうかはさておき。
そういう意味では未来に希望的な人間は無敵なのは合っているのかも。


終始楽しみながら読んでいた伊坂幸太郎の重力ピエロを読み終えた。

「ミステリー」としての観点でみると出来は良くないかもしれないけど1つの物語としてはとても面白かった。

伊坂幸太郎の独特な人物達の会話や蛇足のような場面がのちのちの物語に顔を出す度にああ、そういえば前にこなこともあったな!昔言ってたねそんなこと!とワクワクする。

そう思うことは、さも自分がその物語の世界の一員かであるような錯覚に陥る要素の1つだと思う。
伊坂幸太郎は妙な現実感や自分の身近にある出来事、と思わせるのが上手い。少なくとも自分はそう思わせられる。

というか正確に言うと自分の出来事かのようにリアル。非現実的な要素が詰め込まれている物語だろうと。

音楽を聴いたり小説や漫画を読んだり、とにかく芸術に触れていると嫌な現実の存在を排除出来てのめり込める。だから芸術が大好き。

もっともっと歪んでいるけど平和で暖かい未体験な物語を読みたいし、刺激的で力強い音楽を聴きたい。

とりあえず伊坂幸太郎の小説を読破せねば!

未来は夢か絶望


未来を希望的に捉え好意的な考えな人を素直に尊敬する。

常に不確定な将来のことを考えワクワクしながら生きられるのはきっと自分の可能性を否定せず無意識のうちに無限大だと思っているんだろう。それはおそらく無敵状態だよね。

自分は反対に未来に対して絶望的で否定的な考えなので羨ましささえ感じる。

どうして絶望的で否定的なのかと言うと、まず自分自身に未来を楽しく華やかに生きられる自信とポテンシャルがないから。次にそもそもの生まれ持っての環境や境遇が一般的な日本人よりも悪い、所謂人生ハードモードでプレイしているから。そして未来を充実させようとする意欲ややる気がないから。

いくら人生ハードモードだからって若いうちならやろうと思えば何でも何でも出来るよ!なんて言われてもそこまで未来に対して高い意識を持てない。今を生きるのに精一杯で気力が湧かない。

未来を見て生きられる人はきっと精神的に余裕があるから出来るんだろうな。そんでもって自分のことだけに悩んで、考えて生きられる人。

生きているだけでしんどい自分からしたらタフだな〜意識が高いね、と思う。褒め言葉です。

こうやって今だけを見て今を生きている人間からすると未来を見て生きている人間と接すると自分が置いていかれているような気がして少し寂しいかもしれない。



あー早く天国に生きたいね